前回から、少し時間が空いてしまってすみません。
しばらく、論文の資料など集めるため、日本に戻っていました。
プラス、英語のエントリーを何とか先に…と思っていたのですが、
どうやら、時間がかかりそうな気配なので、
ここは、こだわらずに、日本語を先にUpしようと。
さて、お約束しましたように、この記事では、
著作権法の「複製」の定義をある意味拡大するとすると、
それは、日本にとってはどんな意味を持つのか、
なにか、気をつけるべきことはあるのか、ということを書いてみたいと思います。
ついでに、とても参考になった論文をいくつかあげておきましょう。
・Mark A. Lemley, “Dealing with Overlapping Copyrights on the Internet,” 22 Dayton L. Rev. 547 (1997)
・Jessica Litman, Reforming Information Law in Copyright’s Image, 22 Dayton L. Rev. 587 (1997)
・Jessica Litman, “Sharing and Stealing” 27 Hastings Comm. & Ent. L.J. 1 (2004)
・Nimmer & Nimmer, Nimmer on Copyright Section 8.08 (A)(1)
まず、翻って考えてみると、「いい法改正」と「あまり良くない法改正」ってどう区別するのでしょうか。
これは、非常に難しい点だと思うのですが、私はこの点を、「社会全体で見たときに期待されるプラスとマイナスの効果を比較したときに、相対的にプラスの効果が大きいか」ということや、「その改正が、法律のもともとの趣旨に合致しているか」ということを総合的に判断して、社会にとって必要だと思う場合に、必要な法改正、良い法改正と言えるのではないかと考えています。
また、法改正のタイミングも、早すぎるよりは、きちんと問題が熟してからの法が良いと思っています。改正が遅れれば、その分だけ対処が遅れて、権利者(または守られるべき人)が無意味に利益を害されることになるのでは?という反論は当然予想されますし、そのとおりでもあると思います。しかし、一方で、問題が熟す前にこれを予測して行う法改正・法規制というのは、しばしば、その予測が不十分なために悪法になってしまう恐れ(十分に問題に対応している法規制にならない恐れ)があるような気がするのですね。
ということで、まずは、Cachingを含めるような「複製」の定義へと変換した場合には、どんなインパクト(変化)があるのか、ということを見ていきましょう。その上で、それが、社会全体にとってプラスなのか、マイナスなのか、を考えるわけです。同時に、もしも「複製」の定義を変えた場合には、今回の文化審議会著作権分科会での検討課題、「適切な例外規定を設けて対処すべきだが、その例外規定の内容はどのようにあるべきか」という点も、検討しなければなりません。皆さんも一緒に考えて欲しいと思います。
[複製の定義のインパクト]
米国での論文や判決などを読んだり、技術者の人と話したりすると、代表的なこととして、以下のようなことが議論されています。
・一番大きいのは、前回の記事でも書いたとおり、「事実上アクセスをコントロールする権利を著作権者たちに与える可能性がある」という点でしょう。今は、デジタルの著作物の視聴をするための機器にはほとんど全て、RAMなどが入っていて、Cachingをするわけですから。また、米国では、Webのブラウジングが、ダウンロードなしでも、著作権の複製権侵害に該当するという判例もあります。(Intellectual Reserve, Inc., v. Utah Lighthouse Ministry, Inc., 75 F. Supp. 2d 1290 (US District court for the district of Utah, central division,1999) at 1294)
・リンクを貼る行為についても、影響を及ぼす可能性があります。米国では、単純なハイパーリンクを貼るだけであれば、それは原則として著作権侵害ではないという判例があるのですが、(TicketMaster Corp., v. Tickets.com, Inc., No. CV 99-7654 HLH (BQRx), 2000 U.S. Dist. LEXIS 4553, at 6, 54 USPQ2d 1344, (C.D. Cal. Mar. 27, 2000))、その一方で、違法な著作物のサイトだと知っていながら、そこのサイトへハイパーリンクを貼って、そのサイトへの訪問を進める文言を乗せていた事案では、著作権侵害の寄与侵害に該当する、という判断もされています。(上記Intellectual Reserve判決参照。)(なお、日本でも、間接侵害規定の導入が現在議論になっていて、問題の本質は、この間接侵害の行方も含めて理解する必要があります。)そのほか、もっと複雑なリンクの貼り方(いわゆる、FramingやInline linkingといわれる形態)については、そもそも著作権の直接侵害になるのではないか、ということが米国で議論されていますが、これも、著作物の表示自体が著作権の複製に該当する、ということが議論の根底にあることになります。
・ライセンスに基づいて行われている事業に影響がある、ということが議論されています。すなわち、これまで「複製」のライセンスが要らないという前提で作られた契約に基づいて事業をしている事業者がいるとします。たとえば、飛行機における映画の上映を例にとってみましょう。おそらく、契約には、上映権について定められているとしても、複製権の許諾はないことも多いのではないでしょうか。ところが、今度からは(例外に該当しない限り)これからは「複製」についてのライセンスがなければ適法でない、ということになるわけです。過去に存在する全ての契約について、複製権の許諾を取り直さなければならないのか??これは、実は強制許諾についても同じです。たとえば、音楽レコードの放送については、日本では強制許諾制度が導入されていますから、これまでは音楽を放送するときには特に許諾を取る必要が無かった。しかし、今度からは、音楽を放送する場合に生じる複製については許諾を取らないと、理論的には違法です。これを突き詰めていくと、そのままでは強制許諾制度は骨抜きになってしまう(権利者は、気に入らない放送業者には複製権の許諾を与えないことで実質的に放送を許諾しないことができる)ことになります。
・間接侵害の規定もあわせて考えると、著作物を視聴する機器メーカーや著作権サービスをする業者にとっては、著作権侵害に対するリスクが急増することになります。視聴機器における著作物の視聴は、(例外規定もしくはライセンスがない限り)違法なわけですから、さまざまな機器やサービスについて、複製権侵害を主張することはとても簡単です。実際の視聴の主体(直接侵害者)は、一般ユーザーで、機器メーカーやサービス業者ではありません。しかし、間接侵害の規定がここに入ってきて、「末端ユーザーの侵害について、一定の場合(たとえば管理支配があって経済的利益を得ている場合など)には責任を第三者に負わせる」ことが容易になってくると、当然、権利者は機器メーカーやサービス業者をターゲットにして訴訟をすることになりますね。そうすると、「違法な使い方をするかもしれない」機器を製造したり、「違法な使い方をするかもしれないサービス」を提供することのリスクは増大します。
・特に影響を受けるサービスのひとつに検索エンジンがあると思います。検索エンジンでは、ヒット率や、キーワードなどを蓄積・分析することがサービスの根本をなしていますし、皆さんもご存知のとおり、サーバーの移転や記事の削除などが起こったときのために、記事をキャッシュしたものを提供したりしていますよね?これは、まさしく吹く政権侵害になります。では、全てのWebの著作権者から全て許諾を取らないと検索エンジンサービスは提供できないのか?それは、サービスをするな、というのと同じことですね。必然的に、例外規定が必要では?という議論になってきますが、では、「検索エンジン」ってどう定義するんだろう?みんなに認めて良いんだろうか?意外と、例外規定を書くのも難しいことが分かります。
・勿論、通信業者にとっては、かなり沢山の例外規定を適切な範囲で入れてもらわなければ、プロキシ・サーバー、Webキャッシュサーバー、中継サーバーへの複製、事故に備えてのバックアップ、その他日常の業務が全て違法になってしまいます。
・著作権の議論からは少し離れますが、競争法の観点からも影響があります。米国では、実際に、プログラムがインストールされているコンピュータの保守サービスの分野で問題が起こり、その後の法律改正にまで発展しました。RAMのキャッシングについての初の米国判決である MAI Systems Corp. v. Peak Computer, Inc., 991 F.2d 511, 519 (9th Cir. 1993)は、実際には、独立系の保守サービス業者を、プログラム著作権者でもある「正規保守サービス」業者が市場から締め出すために訴えた、という事案なのです。コンピュータ・プログラムの著作権者でもあり、同時にそのプログラムをインストールしている機器の保守サービスも提供していたMAIは、自分たちの顧客が独立系の保守サービス業者であるPeak Computerに保守サービスを依頼したことが気に入りませんでした。何とか、自分たちが保守業務も独占できないか?そこで、独立系業者であるPeakが保守をするときに、コンピュータを立ち上げて実際に動かすことに着目し、その際には、必ずRAMにプログラムがコピーされているところ、このコピーはプログラムの正規購入者である顧客にしか許されておらず、第三者であるPeakには許されていないから、著作権侵害だ、と訴えて、認められたのです。しかし、この事案では、このようなRAMへの複製がFair useにあたるかどうかは争われませんでした。そこで、同じような後続事件で、今度はFair useかどうかが争われたわけですが、判例はこれも否定したのです。Triad Systems Corp. v. Southeastern Express Co., 64 F.3d 1330 (9th cir. 1995) 当然、これらの判決は、競争法の観点からアメリカで大議論を呼びました。これでは、独立の保守業務の提供は不可能だからです。そのため、米国では、のちに、保守業務を適法化するため、「コンピュータプログラムの正規購入者および正規購入者から委託された者」については、複製などを許容するという例外規定を新たに導入することになりました(1998年のDMCAの一部として成立し、現在512条に規定されています。)しかし、この論点は、米国ではコンピュータ・プログラムに限ってしか、解決されていません。
[複製権を拡大する本当のメリット?]
さて、上記でいろいろと書いていくと、何も例外規定を設けないでいると、色んなところで問題が起こってきそうだ、ということが分かりますね。その一方で、「複製権」の定義を変える事によるメリットって何があるんだろうか?ということが問題になります。
この点、Mark Lemleyは、上記にあげた“Dealing with Overlapping Copyrights on the Internet,” 22 Dayton L. Rev. 547 (1997)で、面白い分析をしています。つまり、米国では、(ご存知かどうか)送信可能化権、というものが立法化されていません。そのため、複製権・頒布権・上映権などで、送信可能化の状態をカバーするためには、その前提としての「複製」をとても広く捉えることがある意味必要だ、という配慮があるのではないか、というのです。つまり、サーバーにアップしただけで、その後、ハードディスクなどにダウンロードされていない状態で、どうやったら「複製」「頒布」などを主張できるのか?「アップされていれば必ず誰かはブラウジングするから、確実に複製は生じるから、複製権侵害の間接侵害だ」「ブラウジングするたびに少なくとも複製物があちこちに生じるから頒布だ」という主張ができれば、権利者としては、実際に誰かがダウンロードしたかどうかを立証するという大変な作業は必要はないわけです。Lemleyは、複製の範囲を広げすぎることによる弊害を減らすためには、逆に送信可能化権を正面から規定して問題を解決するほうが社会にとって好ましいのではないか、と議論しているわけです。
そうすると、そもそも、送信可能化権がある日本では、さらに「複製」の定義を拡大することによって得られるプラスの利益って、なんなのだろうか?過去の審議会などの議論を見ていると、「ダウンロードしない状態で長くRAMにキャッシングされている著作物は、ダウンロードされたのと同じだけの損害を権利者に与えているから、違法にすべきだ」という議論が散見されます。
[適正な例外規定?]
一方、上記でいろいろ述べたようなインパクトによる弊害を減らすためには、適切な例外規定を設けることが必要です。どんな風に規定すれば、情報へのアクセス・機器やサービスの設計への適切な自由度・市場での適切な競争などを保護しながら、なお、著作権者に保護を与えることが出来るのか?きっと、かなり広い例外規定が必要だと思うのです。
そうすると、その後に残る「本当に保護の拡大する部分」としては、どこが残るんだろうか?日本では、あんまり広いところは残らない野ではないかと思います。この点は、たとえば、過去の審議会でも一度指摘されています。(2001年の文化審議会著作権分科会「文化審議会著作権分科会審議経過の概要」第2章V参照。)
そこまでして、複製の定義を変える必要があるのか?米国やヨーロッパがみんなそう議論しているから、というだけの理由で日本の「複製」の議論を十分なのか?権利者が守って欲しい利益は、他の規定でカバーできないのか?「原則違法」といっておきながら、そのほとんどが例外でカバーされる、というのは法律として分かりにくいのではないか?色んな疑問がわいてきます。これらの点を、今の文化審議会でも、十分検討して欲しいな、と思います。
皆さんはどう思いますか?