Fair Use(その他の例外規定)が、市場の失敗(Market failure)のうち、中でも取引費用(Transaction cost)の問題を解決している、という考えを出発点にして、著作物のMass Online取引が期待されるようになってくるにつれ、次のような主張がなされるようになってきました。
Fair Useは、取引費用が高いという問題を解決するための規定である。ならば、オンライン取引で取引費用が低くなってくれば、Fair useその他の例外規定は不要になってくるのではないか?
Prof. Gordonは、このような主張の根拠として、自分の論文がしばしば引用されるのは、自分の意図したところと違う、ということで、2002年に新しい論文を書いています。こちらです。
“Market Failure and Intellectual Property: A Response to Professor Lunney,” 82 Boston University Law Review 1031 (2002).
この論文は、短いですが、著作権の例外規定に関する経済分析をするには欠かせない視点がまとめられていて、勉強になります。ちなみに、この論文は、Lunney教授の”Fair Use and Market Failure: Sony Revisited ”82 B.U.L.Rev. 975 (2002)(要約はこちら)への反論として書かれたものです。
この論文では、Fair Useが取引費用の問題を解決するほかにも、3つの「市場の失敗」と呼ぶべき問題を解決する役割を果たしている、と指摘しています。
1)積極的外部効果(Positive Externalities)
この問題は、私の拙稿(NBL777-8)でも軽く解説していますが、しばしば見落とされる重要な論点です。簡単に要約すると、著作権の例外規定は、情報や知識の流通によって取引当事者以外の第三者(マクロに捉えれば、社会そのもの)に広がる著作物の価値を十分に引き出す役割を果たしている、というものです。
取引費用が低くなれば、著作物は利用がしやすくなるでしょう。けれども、利用者がライセンスを受けるのは、通常、利用者が支払う費用が自分の利益より低い場合です。そのときに、第三者がこうむる利益までを考慮する人は、かなり奇特な人でしょう。そうすると、お金はないけれど他人のために役に立ちたい、という人は、困ることになります。
Gordon教授が例に出しているのは学校の先生です。学校の先生が著作物を授業に使いたいとき、それによって利益を得るのは学校の生徒です。もしも、教材費があり余っている学校であれば、著作物を教材に利用するに当たり、すべてライセンスを取ることも出来るかもしれません。これは、通常の取引の範囲内です。では、教材費に余裕のない学校の先生はどうするのでしょうか。生徒全員に配るだけのライセンス料が払えなければ、教材は使わないで授業をせざるを得ません。これが、市場の取引の通常の帰結です。
しかし、ここでFair Useや例外規定があれば、どうなるでしょう。生徒は、より良い教材で、より良い教育を受けることが出来ます。それによって、取引当事者(先生)以外の第三者(生徒)がプラスの利益を得ているのです。このプラスの利益を実現させるために、例外規定があるわけです。
同じことは、たとえば著作物の引用は批判にも言えます。人気作家なら、自分の本に著作物を引用するについて、全て許諾を取り、お金を払うことが出来るかもしれません(自分の本の売上げという利益とライセンス料を比較しているのですから、通常の取引です)。しかし、どれだけ売れるか分からない、または、引用を沢山すると費用倒れに終わりそうだと思う著者は、例外規定が無ければ、引用を諦めることになるでしょう。それによって、プラスの利益を逃しているのは、読者であり、社会(取引外の第三者)なのです。
Fair Useや、教育目的、引用目的などは、このような、第三者の利益、引いては社会全体の利益を十分実現させるために必要なのだ、というわけです。
この経済的外部効果は、上記のように、受益者である第三者が見えやすい場合には、非常に分かりやすい議論になりますが、では、私的複製などの規定でも、存在しているのか?それは、また別の記事に書いてみたいと思います。
2)非金銭的な価値を優先させたい場合
当然ながら、経済学モデルというのは、経済学的価値(=金銭に換算される価値)を中心に議論します。裏を返せば、金銭として実現されない価値は、考慮することができない、ともいえるわけです。
たとえば、著作物そのものは勿論、著作物に書かれている知識や情報を広く広めたい場合には、立ち見や立ち読みを許した方がいいかもしれません(アクセス、というのも一応、著作権法外、という意味で、「例外」かもしれませんね)。
また、上記の、教室での利用・引用も、見方を変えれば、教育や、公正で活発な言論という、経済ではなかなか図りがたい(ために考慮されない)価値を優先させている、とも捉えることが出来るかもしれません。福祉目的(たとえば、目の見えない方のための点字翻訳など)なども、この例に当たると思われます。
3)Unwillingness to license(ライセンスの拒否)
ライセンス料が高い、というのは、通常、取引費用の問題です。しかし、もしもライセンスを申し込んでいる人が辛口の批評家で、自分の作品が批判されることが分かっていたら、どうでしょうか。名誉(ある意味、お金では図れないもの)を守るため、相手がどんなに頑張っても支払えない額を要求したり、または、交渉にも応じないで一切ライセンスを拒否したりすることは、実際にもしばしば起こっていることです。
このような場合には、そもそも相手が取引をするつもりがある、という「市場メカニズム」の前提が崩れてしまうわけです。したがって、市場で解決することを待っていてはだめなのです。そのため、正当な批判のための利用は、例外規定で対処する必要があるわけです。
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現在、日本でも、例外規定の見直しが進んでおり、私的複製の範囲についての見直しも課題に挙がっています。近年、日本でも、経済的側面から著作権の規定を捉えなおす動きが盛んです。そこで、次は、私的複製と経済分析を書いてみたいと思います。