Creative Commonsという言葉を聴いたことのある人も多いでしょう。
このページを探して実に来てくださる人は、多かれ少なかれ、興味を持っていらっしゃるのではないかな、と想像したりします。私も、指導教授が熱心に取り組んでいる運動であることから、色々と近くで観察する機会があるのですが、色々な意味で勉強になることが沢山あります。運動自体のアイディアは、古くから沢山の人が、色んな形で提唱してきたことの発展形で、もしかしたら、そんなに新しいことではないのかもしれません。創作するとその場で、何の登録も必要なく発生してしまう著作権は、しかし、権利者が誰なのか、その人がどんな権利をライセンスしたいのか、したくないのか、が明らかでないまま、しばしば世の中に流通します。そのままだと、その作品を利用しようとすると権利侵害になってしまうか、権利侵害を恐れて結局有益な情報が使われないまま眠ってしまうか、どちらにしても残念なことには違いありません。
このCreative Commons(CC)は、そうした問題をインターネットの力で解決していこう、という試みのひとつです。ライセンスの雛形とその雛形に対応したメタ・データを簡単に自分の作品につけられるツールを提供することで、インターネットに、一定の条件のもとでは権利侵害を心配せずに使える作品を増やそう、ということです。なんといっても、今までと一番違うことのひとつは、技術的に検索可能にできるMetadataを活用していることです。つい最近の検索エンジンの登場でますますその重要性と利便性が高まった様な気がします。
CCについては、日本でも動きが始まっていますし、その中身については日本でもだんだん注目が高まっています。けれど、その中身と同じかそれ以上に私が考えさせられるのは、学者として高名なLessig教授の、社会問題に対する取り組み方です。本や論文も書いていたり、講演をしていたり、憲法訴訟を起こしたり、もちろん、学校で授業をしたり、私のような院生の指導をしたり、等している傍ら、CCをめぐってCEOや技術スタッフと真剣に議論したり、他の大学・企業・団体と話し合いながら検索エンジンなどの開発を実際に推し進めたりする姿は、企業人としても充分成功するだろうな、と思うほどスマートです。かとおもうと、iCommonsプロジェクトでは、国際展開もしている。社会に溶け込んでいるアカデミックのひとつの究極の姿だと思います。
今、日本でも、知的財産国家戦略で、産学連携が盛んに言われています。主に理系の連携がフォーカスされていますが、CCは、法律と技術の交錯という分野の本当にいい例だと思います。しかし、日本がそこにたどり着くまでに必要なことがどれだけ沢山あるか、CCを見ているとそれを痛感させられます。と同時に、教授やCCをやっているスタッフの人たちと実際に議論したり、素朴な質問を色々投げてみたりすると、ああ、方法論をきちんと分かっていれば、いつの日か、日本でも出来るかもしれないな、と勇気付けられることも多いです。まずは、柔軟な発想と、そして、トライ&エラーを恐れない行動力とがあれば、そうした行動力や理想にひきつけられてくる豊富な人脈が、その志を支えてくれるのかなぁ、と思う今日この頃です。