control v compensation

近頃、米国のデジタル著作権の分野で、相次いで、著作権の強制許諾制度的な提案がなされています。Neil Netanel論文Terry Fisherのもうすぐ出版予定の本「Promise To Keep」の第6章Raymond KuJessica Litmanドラフトなど、皆それぞれ提唱する制度の範囲や条件が多少違うものの、著作権の強制許諾制度を導入して流通を促進しつつ、一定の許諾料をクリエーターや権利者に還元しよう、という点では共通しています。この発想自体は別に新しいものではなく、既に音楽のラジオ放送などでは、アメリカでも日本でも導入されていますし、著作権管理団体によるライセンス・システム(業界では強制許諾と呼んでいたりします。)も、実質的に似た機能を果たしています。 この制度を導入すると、差止請求権のある現在の制度とどこが違うのか? <プラス点> 著作権の利用、著作権を利用した新しいビジネスの立ち上げなどにあたり、交渉に掛かる費用やリスクを非常に低く出来る。 これは、たとえば、日本でカラオケや着メロが始まった経緯を見ても分かります。(これについては、また別の記事で紹介したいと思います。) <マイナス点> 1)利用について、拒否できなくなる→作品に対するコントロールを失う。 2)許諾料の額を一律にしなければならない→誰がどう決めるのか、誰がどう支払うのか、どう分配するのか、という難しい問題が発生する。 米国での議論を見ていると、作品に対するコントロールを著作者や権利者に与えるか、という考えについて、日本やヨーロッパなどの大陸法系の伝統を持つ国(著作権のうち人格権的要素を比較的重視する国)よりも、ドライな考え方をしている学者が多いことに気付きます。これはもちろん、米国が常に著作権を、より経済財としてアプローチしてきた歴史と無関係ではないでしょう。 日本のように、人格権要素を尊重する系譜の国では、Terry Fisherが提唱するような、政府主導の全面的強制許諾制度の導入、という提唱は、あまり現実的な感じがしません。けれども、一定の分野で、一定の範囲で、自主的な(したがって参加するかどうかを権利者が決定できるような)著作権管理制度を導入すべきだ、という主張は、北川善太郎先生のコピー・マートに始まり、日本でもしばしば提唱されています。 しかしながら、実際の導入に当たっては、色々な問題点もあります。たとえば、誰が団体を組織し運営するのか、そもそも過去に製作されて権利処理が綺麗に行われていない作品群を、管理体制に組み込むにはどうすればいいのか、そして著作権管理料をどう決定するのか、といった問題です。これらの現実的な問題や具体例などについては、また改めて検討してみたいと思います。

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